<黙示録6:2>
そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。
<マタイ7:3~5>
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
自分のことを悟ってはじめて、ほかの人のことも悟り、神様のことも聖霊のことも主のことも完全に悟るようになります。悪人は自分の目の中の梁は見ることができずに、義人たちのちりを見て言いふらします。
さまざまに目を開かなければなりません。心、考えもさまざまな万物と存在物について目を開いてこそ、それによる害を受けず、神様について目を開いてはじめて、神様の考えについて分かるようになります。
普通に考えたら普通に見て行ない、深く詳しく考えたら根本が見えます。そこでさらに研究し次元を上げたら、もっと深く見て行ないます。これが成功の道です。そこでさらにつくり、飾り、理想的につくれば最高にまで至るようになります。
神様、聖霊、御子は燦爛として、輝き、純金のように清いです。この世でも天国でもたとえるものがないほど、きれいでいらっしゃいます。そのような神様に仕え敬って生きる私たちは最高の生を生きています。
だからきたないざまを黙って見ていらっしゃることはできません。悔い改めていない人は刑罰によって清く清算させる時です。愛の時代だから清くしなければなりません。
神様が時代に遣わした人は聖書の黙示録で話されたとおりに、神様がお使いになる肉になって勝利し、また勝利し、一生勝利します。その人と共にする人も勝利します。結局、悪は負けて暗闇に行き、善は勝利して地上でも理想世界で生き、霊は神様のあとをついて光の世界に行きます。
だから善はどんなことがあっても落胆せずに行なうべきです。最後まで行けば勝利します。勝ち、勝利する道へ行くから、勝ちます。
聖霊の愛の平安を祈ります。












