<マタイ26:39>
そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
<ヨハネによる福音書16:33>
これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。
<ローマ8:18>
わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
「目的によって運命が左右される」という御言葉は「神様も人も目的を持って行なうから、そのように行なうことで運命が左右された」ということです。
「目的、構想、計画」です。人は目的を持って行なうから目的によって禍と祝福が左右されます。だから目的をよく定めなければなりません。ただ神様が願われる目的を持って行なってこそ、禍を受けず、栄えます。
神様は、人がその仕事を本人が好きで喜んで行なうようにさせるので、神様が話されなければ、その人は自分が好きで自分の目的を成したことだとばかり思います。
神様は本人が分からなくても、神様の目的を成すようにさせます。だからその行なったとおりに、ある人は一層栄えるように祝福をしてあげる場合もあり、ある人はそのまま終わらせることもなさいます。
今も神様はこの時代に御心と目的を成すために各自にも行なわれ、神様の歴史にも行なわれます。神様は今日も目的を持って聖霊と共に、はかりごとと不思議なわざで行なわれます。いつも神様の御心と目的どおりにしてくださいと祈るべきです。神様の目的に自分の目的が入っているからです。
今はみんな神様の目的と御心を成す仕事をすべき時です。神様がこの時代にはこの時代に該当する分、大きい目的を成されます。私たちは神様の御心のために生きるのに、患難、迫害があり、世の中の誰かが止めるからと言って、私たちが行くべき道、神様が目的となさった道を行かないでいいでしょうか。
神様の大きな目的を各自最後までみんな成すように、神様の愛と御力が満ち溢れ、聖霊様がいつも共になさることを祈ります。そしてその愛と御力を受けて、みんな感謝の栄光を帰すことを祝福します。