エゼキエル書4章4~6節
『あなたは左脇を下にして横たわり、イスラエルの家の過ちを自分の身の上に置きなさい。その上に横たわっている日の数だけ、彼らの過ちを負わなければならない。私は彼らの過ちの年を、日数にして三百九十日をあなたに割り当てた。こうしてあなたは、イスラエルの家の過ちを負わなければならない。この期間を終えたなら、次に右脇を下にして横たわり、ユダの家の過ちを負わなければならない。私は一日を一年として、四十日をあなたに割り当てた。』
エゼキエル書18章4節
『すべての命は私のものである。父の命も子の命も私のものだ。罪を犯した者は、その者が死ぬ。』
マタイによる福音書4章17節
『その時から、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。』
(聖書協会共同訳)
神様は『罪を犯す者はその霊魂が死ぬ。だから各自犯した罪を悔い改めなさい』とおっしゃいました。悔い改めてこそ、その霊が天国に行き、肉体も罪の代価を払わされず、罪の主管から出てくるようになります。毎日出る生活のごみや排泄物を掃除してきれいにするように、信仰生活においても毎日罪を悔い改めて自分の肉と魂と霊をきれいにしなければなりません。
天の新婦たちは悔い改め、心も行ないもきれいで清くあってこそ、新郎として来られた三位とイエス様を愛で迎えます。三位もイエス様も、私たちが悔い改めてきれいに装えるように、御言葉の水を与えてくださいます。
また、三位とイエス様は、誰も滅ぼされず、みんなが救われることを願われます。命を生かしてあげるためには、その人の罪を自分が犯したかのように真実に涙で悔い改めてこそ、その命が死亡圏から出てきます。だから私たちは罪に流されていく霊と肉のために祈り、そして福音を伝えて救ってあげなければなりません。
各自自分と人々の過去と現在の罪を悔い改め、体も心も三位とイエス様の清い愛の対象体になって、一層輝かしく歴史の御心を成すことを祝福します。