<マタイによる福音書11章28-30節>
その時、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者に隠して、幼子たちにお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父から私に任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかに、父を知る者はいません。すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛(くびき)を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」(聖書協会共同訳)
神様は霊なので、遣わした救い人イエス様を通して話され、その人によって救いの歴史が起こるようになりました。しかし神様は遣わした人に接する通りに報いられるので、自分が知っていると高慢に接する当時の宗教指導者にはイエス様のことを隠し、幼い信仰者や異邦人にはイエス様のことを示されました。
神様が遣わした人だけが、神様やその時代について正しく分かるから、イエス様は「私に学びなさい。」とおっしゃいました。人は霊的にも肉的にも知らない分、損をし、害を受け、死ぬ場合もあります。知っていたら逃れて助かることができるから、知っている方に学び従うことがどれほど有益なのか知らなければなりません。
肉的なことも、信仰的なことも、分かったらもっと良い世界で生きるようになります。苦労しても知らないことをイエス様に学んで行えば、地獄に行かず、天国に行くようになります。
イエス様の言葉は時になれば絶対にその通りに成されるから、今からちゃんと学んで信じ実践して成長しなければなりません。永遠な霊の運命を左右するから、遣わされた人にだけついていかなければなりません。