<ヤコブ2:26>
霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。
<イザヤ60:1>
起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。
<箴言13:12>
望みを得ることが長びくときは、心を悩ます、願いがかなうときは、命の木を得たようだ。
『霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行ないのない信仰も死んだものなのである』と言いました。行なった人は生きている人なので分かるし、行なっていない人は死んだ人なので分かりません。
行なってこそ答えを得ます。神様は行なった人に使命をお与えになります。神様は行なった人だけが分かって、もらって、先を行く時代に行って生きる祝福をくださいました。
分からなくて行なっていない人は、行なって祝福を受けて生きる人のその心情も考えと心も分かりません。行なった人、経験した人は神様、聖霊、主の心も分かるようになり、相手の心情が分かります。
自分の肉も霊も義の行ないで変化したら、神様も聖霊様も主も喜び、自分の霊も肉も喜んで希望に満ちて生きて行きます。だから御言葉を行なうことで毎日肉も霊も魂も管理して変化しなければなりません。
私たちは義の光、真理の光、愛の光、犠牲の光を放ってこそ、より肉も霊も老いることなく燦爛(さんらん)と輝くようになります。
また、私たちが神様の願いを成してさしあげてこそ、貴重にお使いになります。神様の目的と願い、主の目的と願いを成した人をお使いになり、祝福してくださいます。
神様の御心の中で神様の御心どおりに行なった人だけが分かる喜びと祝福を満ち溢れるほど享受することを祝福します。主の平安を祈ります。