<ローマ人への手紙11:17>
しかし、もしある枝が切り去られて、野生のオリブであるあなたがそれにつがれ、オリブの根の豊かな養分にあずかっているとすれば、
<ヨハネによる福音書16:8~11>
それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。
人々は人や神様に害を加えたら罪と見なし、有益を与えたら義と見なしますが、神様は神様の御心どおりにしないこと、義と善を分かって行なえるのに行なわないこと、悪なる行ないをすること、心、良心に引っかかることを罪と見なします。
神様の法を中心にしてすべての罪を考えるべきです。神様は愛の法を与えて、みんな許し合い、仲良くしなさいとおっしゃいました。そして救い人を通してお許しになり、互いに容認して神様の創造目的のために肉と霊の理想世界を成すようにさせます。
もっとも大きい罪は救い人を信じず、その人を通して永遠なる神様を信じなかった罪です。
神様が遣わした人を通して神様を真実に信じた人は、みんな天国、黄金天国に行きました。
よい穀物とは、主人が肥沃な畑に穀物の種を蒔いて、芽が出たら管理して育てた実のことです。雑な穀物は、主人が穀物の種を蒔いて刈り取っていないものから種が落ちて実を結んだもので、野生の穀物になって固くなり、獣などが食べます。
人も神様が遣わした人が御言葉を与えたとき悟って実践した命、神様と主と一体になって自分を管理し変化させた命はよい命になります。反面、自分中心に大きくなって自ら行なった人は野生の人生になります。
神様は完全に変化し復活した真の命が神様の家庭、民族、世界を成していく千年歴史、命の歴史を行なわれます。この理致を悟って、よいオリブの木である主につながって、この時代にすべきことをし、神様の創造目的どおりに絶対に愛の生を生きなければなりません。
今日、罪と義について、野生の穀物、雑な穀物と、よい穀物、よい果実について話したから、御言葉どおりにみんな新しい時代の完全な人たちにならなければなりません。平安を祈ります。