<ヨシュア記10章13節>
すると、太陽はとどまり月は動きをやめた。民がその敵に報復するまで。」これは『ヤシャルの書』に記されているとおりである。太陽は丸一日、中天にとどまり、急いで沈もうとはしなかった。
<ヨハネによる福音書11章25~26節>
イエスは言われた。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(聖書協会共同訳)
刺激がなく純朴な真理や善なる言葉は人々の脳と心になかなか吸収されませんが、刺激的な言葉は考え、心、脳神経によく吸収されます。これは脳細胞と脳神経と心が刺激的に固まってしまったからで、このような刺激的な脳は非正常で判断ができず、無気力です。
例えば、人々は日がとどまった、イエス様の肉が復活したなど聖書を刺激的にしるしとして解きながら、神様は全知全能だと言ったら、むやみに信じ、間違って考える「しるしの信仰」をします。
聖書は比喩で書かれ、数千年前に記録されたものだから、比喩と時代性を考慮して読むべきなのに、文字通りに信じ、聖書を間違って解くから、信じても成されないのです。
神様は全知全能ですが、理致と法則の神様です。絶対順理です。神様が自然法則を創造なさったから、順理の自然法則でこの世界を運行なさいます。 実体として解いて、霊的に神様の根本の御言葉として解いたら、平凡で順理的に成されます。
神様はいつも遣わした人に話し、行なわれて、人々が遣わした人の話を信じるか信じないかをご覧になります。いつの時代でも遣わされた人の話を聞いて信じ従い、三位について学び、仕え、一緒に生きていくことを楽しみとして生きる「自分の信仰」を守って生きるべきです。
自分の信仰のすべきことをしたら、存在できるようになり、時になれば助けてくださり、行なった通りに与えてくださり、もっと任せてくださいます。私たちを通して新しい歴史を行なわれる神様、聖霊、御子に感謝と栄光を毎日帰すことを祝福します。