<ヨハネの黙示録22:12>
「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。」
神様は人々が神様を信じても信じなくてもすべて主管なさって、行ないどおりに与え、報いてくださいます。これが最高の公義の法です。
だから、神様を信じずに行なっても偶像に仕えても、死ぬほど行なえば肉的に成功し栄えたりもします。神様を信じないからといって、働いたのにその労苦の対価をもらわないということはありません。しかし、このことを知らなければ「どうしてあの人たちは神様を信じなくても栄え、私たちは信じても栄えないのか?」と言います。
神様を信じない人たちは、自分を助ける人がいないと言って、もっと歯を食いしばって行ないます。だからたくさん行なってたくさん得ます。しかしむしろ神様を信じて生きている人たちは、神様がしてくれると思って行なわない習慣と癖があります。
神様を信じなくても、熱心に行なえば、肉に属したことは労苦した分、得ます。しかし神様の法に外れるから裁かれます。肉が神様を信じることをしなければ、霊が天の国に行くことはできず、死亡圏の地獄に行くのです。
神様を信じて生きても、行なわなければ得られません。しかし神様を信じたから、肉体は貧しくても、霊は天国に行きます。神様を信じて行なえば、得るだけではなく、霊も救われ、肉も救われて生きます。
熱心に行なって、肉のものも、霊のものも得ることを願います。神様を信じて「神様がしてくださるだろう」と言ってはいけません。自分もすべきことをしてこそ、神様もしてくださり、もっと祝福してくださいます。
また、やってもだめなこともあるので、分別してやらなければなりません。あることはまったく不可能なことがあるから、よく確認して行なうべきです。また、可能なことなのに不可能だと言ってあきらめてもいけません。
御心があるなら、問題があってもやらなければなりません。そうすれば問題が解決されます。問題があるからだめだと言わず、御心を見なければなりません。
今日「誰でも行なったとおりに報いよう」と御言葉を伝えました。祈ってばかりいないで、祈ったなら行なわなければなりません。その時神様は行なったとおりに報いてくださり、共にしてくださいます。みんなにそのような御働きが満ち溢れることを祈ります。