マタイによる福音書6章6-7節
<あなたが祈るときは、奥の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。彼らは言葉数が多ければ、聞き入れられると思っている。>
マタイによる福音書26章41節
<誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心ははやっても、肉体は弱い。」>
エレミヤ書29章12節
<あなたがたが私を呼び、来て私に祈るならば、私は聞く。>
ヤコブの手紙5章16節
<それゆえ、癒やされるように、互いに罪を告白し、互いのために祈りなさい。正しい人の執り成しは、大いに力があり、効果があります。>
創世記27章4節
<そして私の好きなおいしい料理を作り、それを持って来て、私に食べさせてほしい。死ぬ前に私自ら、お前を祝福したいのだ。」>
(聖書協会共同訳)
全知全能なる神様は完全でいらっしゃいます。
だから祈る人はみんな完全に祈らなければなりません。
完全な祈りをしてこそ神様が助け、問題を解決してくださいます。
完全な祈りとは瑕のない祈りです。
祈る姿勢も完全でなければなりません。
聡明で精神一到し、心と考えを集中して祈らなければなりません。
順序良く一つ一つ祈り、神様が聞いていらっしゃると絶対に信じて祈らなければなりません。
自分の矛盾も直すべきことも根本の問題もあらわにして祈る時、神様が聞いてくださいます。
聖霊が感動をくださるとおりに、神様がおっしゃったことを完全に守って祈ってこそ、完全な祈りをするようになります。
祈りは神様に話すことです。
祈りを休んだら恵みの川が乾いてしまいます。
完全に祈れば完全です。
もっと完全に祈らなければなりません。
完全な祈りのしるしを見せてさし上げてこそ、神様がしるしを行なってくださいます。
完全な祈りで完全に自分たちをつくり、願うものもつくらなければなりません。
自分が完全であってこそ、行なうことすべてを願うとおりに完全に行なうようになります。
祈りがなければ、車のガソリンが切れてしまうようにすべて中断してしまいます。
祈りの英雄になり、神様の対象体になって、全能なる神様の御言葉を完全に伝え、完全に聞いて、一体になって行なうことを祝福します。