<マタイによる福音書4:17>
この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、「悔い改めよ、天国は近づいた」。
バプテスマのヨハネが一番先に核として伝えた御言葉は「悔い改めなさい。主が来る。その方が来る」でしたが、ヨハネが捕まって獄に入れられたあと、イエス様が最初に伝えた福音も「悔い改めなさい。そうすれば天国を迎える」でした。天国は他ならぬイエス様でした。
イエス様はいつも「清くしなさい。装いなさい。そうしてこそ神様を迎える」とおっしゃいました。家にお客が来るだけでも、きれいに掃除し、服を着替え、もてなすものを用意します。ましてや神様の前ではどうすべきでしょうか。
悔い改め、装ってこそ、全能なる存在者を新郎として迎えます。新約時代のとき、あかりの油を準備しなかった人はイエス様を奪われました。(マタイ25:1~13)油は新郎を迎える上での核である「愛」です。愛が準備できていなくて問題があれば、新郎を奪われ、迎えられないということです。イエス様は「心と思いと命を尽くして主あなたの神様を愛しなさい。兄弟もそのように愛しなさい」とおっしゃいました。
誰でもこの時代に必ずすべきことが、悔い改めと装うことで用意することです。清く装ってこそ、愛の対象として完全に神様と聖霊を迎えるようになります。
罪は排泄物や腐った食べ物と同じです。罪とサタンです。悔い改めてこそサタンも離れていきます。神様、聖霊様は本当に清潔で、日のように輝きます。だから神様、聖霊様と一体になってはじめて、罪がすべて焼き尽くされます。
さまざまな使命で神様に貴重に使われるためには、命を懸けて自分を清く瑕なくつくらなければなりません。錬達、鍛錬、自分をつくることです。自分を清くするとおりに、つくるとおりに使われます。
今日の御言葉を深く聞いて、悔い改めの御働きを起こさなければなりません。平安を祈ります。