<マタイによる福音書3:12>
また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。
農作したものを食べるためには、箕(み)を取ってふるいにかけ、臼でつかなければなりません。そうすると実ともみ殻が分かれ、皮が剥けて穀物の白い中身だけが残ります。実は食べ、もみ殻は捨てます。
神様も実は刈り取り、もみ殻はすべて捨てて焼き尽くします。神様の御心でないものはもみ殻です。その生は肉的な生で終わり、その霊はもみ殻の世界に行きます。
肉は外側で、皮で、霊は内側で、実です。肉の信仰は滅びる信仰です。肉の信仰をする人は霊でいらっしゃる神様と交通できないから、霊的に死んだ人です。霊の信仰をしてこそ、神様と通じて一体になって生きた人になり、復活します。
肉体が死ぬ前に実を育てるように霊を育て、霊のために生きるべきです。実の時に堆肥をやるように、霊の機会の時に人生を投資すべきです。
完全な新しい時代の真理に従って霊のために生きれば、聖霊の実をさまざまに豊かに実らせます。
(ガラテヤ5:22~23)『しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。』
霊のための生とは、神様の御心の主管圏の中の生です。神様の御心だけを命のように思って、その御心だけを行なった人たちがただ神様の御心の穀物であり、実です。
今日の御言葉を聞いてみんな皮の信仰、もみ殻の信仰から抜け出して実の信仰になることを祝福します。