マタイによる福音書 7章7-12節
<「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる。誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。あなたがたの誰が、パンを欲しがる自分の子どもに、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」>
マタイによる福音書6章33節
<まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。>
マタイによる福音書18章19節
<また、よく言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を合わせるなら、天におられる私の父はそれをかなえてくださる。>
箴言11章27節
<善を探し求める人は主が喜びとすることを尋ね/悪を求める者には悪が訪れる。>
(聖書協会共同訳)
一言で言うと、責任分担を果たしなさいということです。
御言葉を命のように思う時、威力が生じます。
求めるべきものを求めなければなりません。
求め、捜し、門をたたいて行なってこそ問題が解決します。
責任分担を果たせば、ふさわしければくださいます。
求め、捜し、門をたたいて行なうべき時です。
自分がすべきことを正しく悟って行なわなければなりません。
約束の御言葉は、責任を果たした人が得るようになります。
聖三位を呼び求め、初めの愛と初めの信仰を捜して取り戻し、罪を捜して悔い改めなければなりません。
求めるべきこと、捜すべきこと、たたくべきことを見つけ祈らなければなりません。