マルコによる福音書16章16節
ローマ人への手紙1章17節
「不信仰の者は罪に定められる」と書かれています。
「罪に定める」というのは「罪人だと断言すること」です。
神様を信じないことが罪であり、その罪の代価を払わされるという意味です。
また「信仰による義人は生きる」という聖句を基にして、ルターが反旗を翻しました。
知らずに生きることがどれほど損をすることなのか、私たちは知らなければなりません。
神様を信じることは本当に大きいことです。全て自分のためです。
信じることで救われ、信じることで永遠な天国に行くようになります。
はっきり分かって正しく信じなければなりません。
神様を信じ愛して仕えて生きるなら、特別なことでなければ罪とみなしません。
信じて行なっているうちに犯したミスは、罪としてみなしません。
しかし、神様を信じないで罪を犯したら、信じないこと自体が罪なので、考慮する余地がありません。
信じるとしても、ちゃんと信じなければなりません。
神様を信じて生きていること、それが大きいのです。
ユダヤ教の人たちは、神様を信じたことは間違いではありませんでしたが、待っているメシヤがどのように来るのかを知らず、分からなくて失敗しました。
今は新婦の時代だから、どう愛するべきなのか、知らなければなりません。