ヘブライ人への手紙5章12-4節
<あなたがたは、長らく教師をしていながら、神の言葉の初歩をもう一度誰かに教えてもらわねばならず、また、固い食物ではなく、乳を必要とする始末だからです。乳を飲んでいる者は皆、幼子ですから、義の言葉を味わったことがありません。固い食物は、習慣によって善悪を見分ける感覚を鍛えられた、大人のためのものです。>
マタイによる福音書28章16-20節
<さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスの指示された山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」>
学ぶ時、学んだことを知らない人に教える時、嬉しくなります。
イエス様はすべてを知った上で先生になられました。
先生に学んだ通りに教えたら、第2の先生になります。
神様、聖霊様、主を証しなければなりません。
時代の御言葉は、行くべき道を示す標識です。
だから学ばなければなりません。
教える時、知恵深く、賢く教えなければなりません。
教理だけ教えるのではなく、主を証をしなければなりません。
繊細に詳しく話さなければなりません。多様に学ばなければなりません。
真理をはっきり知らなければなりません。先生となって証し、教えなければなりません。