<イザヤ11:1~3>
エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。彼は主を恐れることを楽しみとし、その目の見るところによって、さばきをなさず、その耳の聞くところによって、定めをなさず
<申命記10:12~13>
イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。すなわちあなたの神、主を恐れ、そのすべての道に歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え、また、わたしがきょうあなたに命じる主の命令と定めとを守って、さいわいを得ることである。
イザヤ書11章に、イエス様は神様を愛して仕え敬うことを楽しみとするとあります。イエス様が神様に仕え敬うことを楽しみとして生きられたように、私たちもそのようにならなければなりません。
バプテスマのヨハネがすべき最も大きいことはイエス様を証ししつつ仕え敬う生を生きることだったのに、自分が自分に仕え敬う生ばかり生きていたので失敗しました。イエス様のそばで御言葉を聞いて仕え敬う悟りを実践する生活をしないので、イエス様がメシヤであることを正しく分からず、証し出来ませんでした。
イエス様に仕え敬った人たちは栄えました。仕え敬う悟りは行なったことのある人だけが分かります。この悟りを基本として行ない、さまざまに研究して学ぶのです。神様とイエス様に仕え敬った人だけが、神様とイエス様のことを正しく分かり、それがどれほどいいものか分かって得て行きました。
御言葉が宣布されても、実践しなければ仕方ありません。見える人にも行なわないのに、見えない神様に行なうでしょうか。見える人にまず仕え敬わなければなりません。
今は神様の最後の救いの歴史、新婦の時代です。仕え敬う生活ができなければ、神様、聖霊、御子、イエス様の新婦になれません。新婦の時代で新婦になれなければ、子女の扱いを受けるか、追い出されます。そうすると神様はほかの人を立てます。
イエス様の楽しみは二つでした。一つは神様を知らない人たちを救って、彼らにつくし敬う楽しみ、もう一つは神様、聖霊、御子に仕えて生きる楽しみでした。
みなさんも必ずそうしてください。兄弟に仕え敬い、遣わされた人にも仕え敬い、神様、聖霊、御子、イエス様にも仕え敬って生きていくのです。イエス様のこの楽しみを見つけて、みなさんの楽しみとすべきです。












