ヨハネによる福音書14章1-6節
<「心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、私はそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。私がどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうして、その道が分かるでしょう。」イエスは言われた。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。>
キリストについて知ることが永遠な命です。
分かって信じなければなりません。
普通に信じる程度ではいけません。
イエス様自体がすべての道でした。
神様がイエス様を着て行なったから、すべてにおいての道だと言うことができます。
イエス様が神様の代行者だということが、弟子たちもよく分かっていませんでした。
だから「私を見た者は神様を見た」とおっしゃったのです。
神様が遣わした人を通して行なわれます。
ピリポ一人を通して、みんなを悟らせました。
主に会ったこと自体が奇跡であり、しるしです。
信じる分だけ神様が働きかけます。
命の道は狭い道です。
その道を行かなければなりません。
そして主のところに行く道を各自が作らなければなりません。
救われる人は、必ずメシヤのところに行って、神様の元に一緒に行かなければなりません。
これが道です。
そして御言葉が道です。