<マタイによる福音書11章28~30節>
すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛(くびき)を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」
<オバデヤ書1章15節>
主の日は、すべての国に近づいている。お前がしたように、お前にもされる。お前の業は、お前の頭上に返る。
<ペテロの第一の手紙1章9節>
それは、あなたがたが信仰の目標である魂の救いを得ているからです。(聖書協会共同訳)
神様、聖霊、御子は地球を中心にして宇宙、万物、人間を、永遠な目的を持って創造したから、絶対的にその御心を見つけ信じて行ないつつ一生生きなければなりません。そのように行なわなければ、肉で虚しく生が終わります。行なったとおりに自分の肉がすべて受け、霊は永遠にその代価を世々限りなく払わされます。
絶対に神様が遣わした人を通して伝える御言葉を信じて行ない、再び来たイエス様の目的を分かって迎え、行ないつつその御心に従わなければなりません。神様、聖霊、御子、遣わした人を愛しつつ、その愛の対象になって、肉体の一生の間使い、全能者神様と聖霊に仕え、主と共に行なうべきです。
神様の御言葉を聞いて行なえば、肉は一生、霊は永遠にその国で存在します。聞いても行なえなかった人と、聞けなかった人は、永遠な光の世界から消え去り、暗闇で永遠に縛られて生きます。
肉はこの世の患難と苦痛と苦しみを受けても、全能者神様と主を信じて、魂と霊を絶対に救わなければなりません。肉と魂と霊を救った人は、この世で最高に永遠に成功した人です。だから自分の肉のために、今、主の名によって求めなければなりません。完全に生きてこそ完全になります。
また、聖書は解いて解釈すべきです。無理矢理に解いたら滅亡すると言いました。イエス様が「私に学びなさい」とおっしゃったとおりに、正しく学んで、みんな堅固にやらなければなりません。