<テサロニケ人への第一の手紙5章23節>
どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。
<ヤコブの手紙2章14節、17節>
わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。… 信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。
新しい時代が来たのに、昔やっていた通りに信仰するのは原始人の信仰です。ただ信じてついてくるだけで、御言葉で自分をつくっていない人、信仰の開発をしていない人は、神様に仕えながらも喜んで生きられません。霊的あるいは肉的に片方だけを備えたら、困苦で、希望なく、ちゃんと生きられません。
霊が栄えるように肉も栄えるようにすべきです。自分をつくれなかった人はみじめに生きて死んで、霊も死亡圏に行って永遠に生きるようになります。肉も霊も死亡圏から出てきて生命圏で生きなければなりません。
各自つくってこそ新しい時代を迎えた人です。信仰も努力し、発達させ、すべて開発し新しくして、環境と心と行ないもつくって次元を上げて生きてこそ、霊肉共に信仰の原始人の生を抜け出します。神様の愛の対象になって一緒に生きる次元に次元を上げて生きなければなりません。
神様の時代の御言葉を聞いて完全に霊肉共に生まれ変わって、自分を美しく、善良に、神秘的に、義なるものに輝くようにつくって生きてこそ、希望、喜びです。そうしてこそ三位と主が自分の愛の対象になり、創造目的が成され、永遠に黄金天国で生きていきます。
絶対にすべきことをしながら自分をつくり、神様の完全な対象になってはじめて、神様も行なわれます。自分が完全な器になれば、自分の行ないどおりにくださいます。
毎日御言葉を聞いて行ない、自分を霊肉共につくることです。大変でも
苦労しても命の道に行かなければなりません。行なう人は不可能がありません。主神様、聖霊の中で自分をつくる恵みと真理が満ち溢れることを祈ります。