<創世記18:21>
わたしはいま下って、わたしに届いた叫びのとおりに、すべて彼らがおこなっているかどうかを見て、それを知ろう」。
本文を読むと、神様はソドムとゴモラの状況が神様に訴えたとおりなのか確認しに行かれました。イエス様も確認なさったあとにそれに沿って接し、見聞きしたとおりにだけ裁くことはなさいませんでした。
神様、聖霊様は時になったら、祈って願っていたことをしてくださいます。しかし、ほとんど本人が願う方法ではなくほかの方法でしてくださるから、確認しなければ、してもらったことが分からず、待ち続けます。
だから、必ず神様に、またしてくれると言った人に尋ねてみて確認しなければなりません。「確認」は自分の固定観念の認識をはっきりと捨ててから、しなければなりません。ほかの人の間違った認識ではなく、正しい認識をもって自分自らしなければなりません。
聖書の歴史も、神様は約束どおりにしてくださったのに、人が不信して待ち続けた場合が多いです。神様とメシヤを待っているユダヤ人たちは神様もメシヤもいらっしゃったのにちゃんと確認しなくて、来たということが分からず、むしろ不信しました。
ほかの方法だとしても、してくれたならば成されたのです。神様はもっとも理想的な、理に適う形でしてくださいます。願っていた人の期待とは違う方法でしてくれたとしても、してくれたことに感謝し、喜ばなければなりません。
目的さえ解決し、達成すればよいのです。イスラエル民族を通して福音を広げようとしましたが、彼らが受け入れなかったので、結局異邦人たちを中心にして世界へ福音を広げました。最初のものに御心を持ちましたが、二番目のもので御心が成されました。神様の聖書の全体の御心がこのように成されました。
今日「確認」について御言葉を伝えました。歴史を確認していない人は分かりません。確認した人が確認した歴史を、証ししなければなりません。みんなに平安を祈ります。