<ホセア4:6>
わたしの民は知識がないために滅ぼされる。あなたは知識を捨てたゆえに、わたしもあなたを捨てて、わたしの祭司としない。あなたはあなたの神の律法を忘れたゆえに、わたしもまたあなたの子らを忘れる。
<ダニエル8:11~13>
またみずから高ぶって、その衆群の主に敵し、その常供の燔祭を取り除き、かつその聖所を倒した。そしてその衆群は、罪によって、常供の燔祭と共に、これにわたされた。その角はまた真理を地に投げうち、ほしいままにふるまって、みずから栄えた。それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかって言った、「常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあらわれたことは、いつまでだろうか」と。
神様、聖霊様を心から忘れたら思い出せず、遠くなり、そのうちにだんだんと実感がない死んだ信仰生活をするようになります。だから毎日神様と聖霊様を考え、呼び、共に生きる生を生きなければなりません。
神様も聖霊様も人間の目には見えない神なので、自分が生きた人としてその体になって生きてこそ忘れず実感します。毎日聖書や時代の御言葉を読んで行ない、祈り、讃美し、感謝し、愛し、毎日捧げる常供の燔祭を廃してはいけません。
この時代の命の御言葉を伝えてくださるのは、神様の愛の対象として行なう生の目的を成しなさいということです。忘れずに一緒に生活してこそ、肉も魂も霊も変化して、御言葉をくださった目的を成します。
主日は神様と聖霊に会う愛の日で、安息日を聖なるものとして守ってこそ神様が祝福を与えてくださいます。安息日に必ず教会に来て御言葉を聞き、神様に栄光を帰さなければなりません。毎日神様と聖霊を数十回も捜し呼び求め、感謝すると言ってこそ神様が毎日してくださることを悟るようになります。
クリスマスにはイエス様が命を生かすために来られたことを忘れず、讃美し栄光を帰さなければいけません。今週特にイエス様のことを記憶し、みなさんが忘れてできなくて死んでいるところが何かあるのか、毎日捧げるべき祭壇なのに廃されていることが何かあるのか、早く見つけて早速直さなければなりません。
聖霊の愛の平安を祈ります。












