<ヨハネによる福音書9章4節>
私たちは、私をお遣わしになった方の業を、昼の間に行わねばならない。誰も働くことのできない夜が来る。
<ヨハネによる福音書12章3~8節>
その時、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足を拭った。家は香油の香りでいっぱいになった。弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。自分が盗人であり、金入れを預かっていて、その中身をごまかしていたからである。イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。私の埋葬の日のために、それを取っておいたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない。」(聖書協会共同訳)
いつも神様は毎日明け方からすべきことをすべてなさいます。私たちも神様のように明け方からすべきことをしてはじめて、それらをすべてするようになります。すべきことをすべてしたら、未練もなく、肉体の一生と永遠までうれしいです。すべきことができなければ、問題が生じて苦痛を味わうようになります。
すべきことをすべてするには、困難・患難・苦痛があっても、祈り、時を逃さず、熱心に行なわなければなりません。時に合わせてすれば、三位とイエス様が共に行なってくださいますが、遅れてやったら、三位と主は先に来られてすべきことをすべてしておいて帰られます。そしたら自分一人でやることになるので、必ず時間を守って共に行なわなければなりません。
この世は天国ではないので、神様も人も仕事をしたらいつも長所短所があります。短所があるからといってやらなかったら、一生できません。長所を見て、神様の方法と構想でやらなければなりません。
三位とイエス様はその人の行ない、信仰、愛の通りに接してくださいます。マリヤも弟子たちが止めても、愛する人に注ぐ香油をイエス様に注いだことで、よくやったと言われ、2000年以上も栄光を受けています。止めるからといってすべきことをしなければ永遠に後悔します。
神様の仕事をする人も、誰かが迫害し止めても、それを変えないで熱心にやらなければなりません。みんな頑張って、三位とイエス様の体になって力強く行なうことを祝福します。