<ヨハネによる福音書12章3~8節>
その時、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足を拭った。家は香油の香りでいっぱいになった。弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。自分が盗人であり、金入れを預かっていて、その中身をごまかしていたからである。イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。私の埋葬の日のために、それを取っておいたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない。」
<創世記37章5~8節>
あるとき、ヨセフが夢を見て、それを兄弟に話すということがあった。すると彼らは以前にも増してヨセフを憎むようになった。ヨセフは彼らにこう言った。「聞いてください。私はこんな夢を見ました。私たちが畑の中で麦の束を結わえていると、いきなり私の束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まり、私の束にひれ伏しました。」兄弟はヨセフに言った。「お前が我々を治めるというのか。お前が我々を支配するというのか。」彼らはその夢の話のゆえに、ヨセフを以前にも増して憎むようになった。(聖書協会共同訳)
マリアが弟子たちが止めるからといってイエス様に壺の香油を注がなかったなら、あまりにも後悔したでしょう。行なってイエス様の愛の無念を晴らしてさしあげ、2000年間肉界でも霊界でも栄光を受けました。
ヨセフは17歳の時エジプトに売られていってしもべの生活をし、異性の汚名を着せられて獄に入ったけれども、獄ででも夢を捨てずに生き、神様がくださった神霊な使命を行なって、30歳でエジプトの総理大臣になりました。兄弟たちが止めるからといって夢の話をしなかったなら、神様の御心どおりに出世できませんでした。
私たちもマリアやヨセフのように神様が各自にくださった特技と使命、表象的なものがあります。一度奪われたら永遠に再び得ることができません。自分ができなかったことで歴史が別途再び来ることはありません。すべき時に神様、聖霊、御子、イエス様と共にやらなければなりません。
神様が自分にくださった愛と使命を誰かが止め、別のことをやりなさいと言っても、主に向けての心と恵みと使命に従って、自分のすべきことを行なわなければなりません。そうしてこそうれしく、甲斐を感じ、歴史を広げて、永遠に後悔しません。また、その義が時代の福音が伝えられるところに伝えられて栄光になり、霊も永遠に栄光を受けるようになります。