マルコによる福音書 9章23-9節
<イエスは言われた。「『もしできるなら』と言うのか。信じる者には何でもできる。」その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のない私をお助けください。」イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった。「ものを言わせず、耳も聞こえさせない霊。私の命令だ。この子から出て行け。二度と入って来るな。」すると、霊は叫び声を上げ、ひどく痙攣を起こさせて出て行った。その子は死人のようになったので、多くの者が、「死んでしまった」と言った。しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。イエスが家に入られると、弟子たちはひそかに、「なぜ、私たちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた。イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ追い出すことはできないのだ」と言われた。>
マルコによる福音書 11章24節
<だから、言っておく。祈り求めるものはすべて、すでに得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。>
詩編 4編1節
<わが義の神よ/呼びかけに答えてください。/あなたは私を苦しみから/解き放ってくださいました。/私を憐れみ、祈りを聞いてください。(聖書協会共同訳では2節)>
(聖書協会共同訳)
イエス様が悪霊を追い出せたのは、救い人であり、祈ったからであり、使命の力と権勢でできました。
使命者は知っているからその仕事ができます。
祈りは仕事で、働くことと同じです。
だから、何かすべきことを前にして、祈ることは働く時間とみなさなければなりません。
直接すべきことに関わることができない時は、神様に祈れば、使命者を通して、または状況を変えて、または神様が直接してくださいます。
多くの仕事をするためには多くの時間が必要であるように、多くのことを解決するためには多くの祈りが必要です。
仕事をする時は集中してやってこそできます。
必ず責任分担と祈りという仕事をしなければなりません。
祈る時、最も必要なのは切実さと真実さです。
心と思いと命を尽くして祈らなければなりません。
切実に、真実に祈ったことだけが完全に成されます。
聖書の人物は皆たくさん祈りました。
必ず最後まで祈らなければなりません。
祈ることを忘れてはいけません。
涙の祈り、心と思いと命を尽くして祈れば、ふさわしいことは神様がすぐにしてくださいます。
祈りは問題を解決する最高の答えです。
時間を決めて祈らなければなりません。
毎日祈って生きる、祈りの人になることを祝福します。