<テモテへの第一の手紙1章1節>
私たちの救い主である神と、私たちの希望であるキリスト・イエスとによって任命され、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、
<箴言13章12節>
望みがかなえられないと心が病み、願いがかなうと命の木を得たようだ。
<ヨハネの黙示録22章14節>
命の木にあずかる権利を与えられ、門を通って都に入ることができるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。(聖書協会共同訳)
目的があってこそ、何事でもやるのです。神様を信じ愛する人たちは、神様の目的のためにまず行なわなければなりません。その目的の中に自分の目的も入っています。
神様が与えた目的を失ったから、生の目的を失ったのです。切実に祈って、自分の心に神様の目的を刻み、はっきり分かって行なわなければなりません。神様の目的は、地上の肉体にとってもこの上ない生であり、霊にとっては永遠に愛の世界です。
毎日神様を愛することですべての目的が成されます。神様が天地万物を創造し、私たちを創造なさったのは、私たちを愛するからです。このことを忘れたら、肉体も、霊も希望がなく、自分の道へ行くようになります。
望みを完全に行なわないから、それによって得ることができないのです。聞き従って成そうとする過程も、成した時も、成して使う時も『望み』です。そうできなかった人の霊と魂は、自分の望みが終わったから、死に属した霊魂として暗い苦痛の世界で生きていくことになります。
地上で肉体は、永遠な神様が私たちの主キリストによってくださった望みを成さなければなりません。望みは行なう分だけ成されます。たくさん行なえばたくさん刈り取るし、少し行なったら少し刈り取ります。
望みを行なっている途中、患難、迫害に見舞われ、無念な目に遭っても、行なわなければ得られません。その望みがすべて解決してくれます。
神霊な祈りをし、感じ、悟って、分別し、聖霊が自分と共に行なうようにしなければなりません。