<ヤコブの手紙2章26節>
霊のない体が死んだものであるように、行いのない信仰もまた死んだものです。
<ヤコブの手紙2章17節>
同じように、信仰もまた、行いが伴わなければ、それだけでは死んだものです。
<ルカによる福音書8章48節>
イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」(聖書協会共同訳)
全能者神様、聖霊様を信じて共に生きる人が、「神様が助けない。つらい。どうして私だけがこのような苦痛を受けるのか」と言って世の中へ出て行きます。自分の責任を行なう信仰をしなかったから得られなかったのです。また、神様が与えたけれども、過去の恵みを分からずに生きたのです。
人は自分が自分を信じ、頼り、「責任」を果たしたら、それが自分の信仰になって、自分自体を存在させます。神様が助けてくださることだけに頼っていてはいけません。「自分の信仰」、「自分の意志」です。自分を信じ、自分がすべきことをして生きる信仰をしなければなりません。
「自分の行ないどおり」です。自分が神様を信じ、頼り、聖霊を呼んで行なってこそ、自分の信仰を生かし、「自分の信仰」をするようになります。もっと行なう人に、もっと行なったとおりに接してくださいます。
信じて認め希望に満ちて「私に神様がいつも働きかけてくださる! 共になさる!」と信じて行なえば、これが「自分の信仰」です。事実なので実際に力を受け、希望に満ちて、いつも死亡圏から抜け出した生を生きるようになります。
喜んで生きている信仰を維持するためには、自分の責任である「自分の信仰」を夜も昼もしなければなりません。そうすれば自分の責任を果たして得て、また生きていらっしゃる神様、聖霊様、主が与えて、得ることもします。
各自責任分担の信仰です。自立自足の信仰生活です。今日、自分の責任は自分がすべきであることを話したので、この命の御言葉を聞いて行なわなければなりません。