<使徒言行録1章8節>
ただ、あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる。」
<コリントの信徒への手紙一11章26節>
だから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲む度に、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。『だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。』
<出エジプト記9章16節>
しかし、私があなたを生かしておいたのは、私の力をあなたに示し、私の名を全地に告げ知らせるためである。
<テモテへの手紙二4章5節>
しかしあなたは、何事にも身を慎み、苦しみに耐え、福音宣教者の働きをなし、自分の務めを全うしなさい。(聖書協会共同訳)
神様は、各自が自分自身に神様が行なわれたことをはっきり証しするとき、「そのとおりだ」と言って現れます。
神様は、神様の全知全能さと行なわれることをこの世に立てた証人に前もって見せ、話し、その後で行なわれます。
だからその人が話してくれなければ分かりません。証しすれば分かります。証しの御力です。
イエス様のときも、知恵深く御言葉を証しするとき、人々がその御言葉を受け入れるとき、イエス様も聖霊様も御力としるしで共になさいました。御言葉を証しするとき最もたくさん伝道され、しるしが起こり、家庭、民族、世界へ福音が広がっていきます。
イエス様が去って行かれるとき最後に「私の証人になりなさい。証ししなさい」とおっしゃったのは、「この道だけがあなたと私が地上で成功し、永遠に栄える道だ」ということでした。
この時代も、知らない人たちに、これまで神様が行なわれたこと、歴史の数々のしるし、病人たちを癒したこと、自分が変化したこと、神様と共に成したことなどを話し、見せてあげることです。それらを証ししてこそ、御力としるしが来るし、証しを受けて神様も聖霊も主も現れるのです。