マタイによる福音書18章10-4節
<「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天にあっていつも、天におられる私の父の御顔を仰いでいるのである。人の子は、失われたものを救うために来たのである。あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残して、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。よく言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも失われることは、天におられるあなたがたの父の御心ではない。」>
「捜しに行きなさい」という説教です。
主人が喜んでやっていることなのに、文句を言うなら山羊です。
皆さんが失われた羊でした。
信仰が幼い人、年齢が幼い人を失くします。
捜してくることが御心です。
命が失われる原因は、管理が足りないからです。
そして本人が自分の主観通りに生きるからです。
どうして来なくなったのか、経緯があるし原因があります。
自分の責任だと思うなら立派な指導者です。
その人の責任まで背負ってあげればいいです。
皆さんが行なったら、主が同行します。
命が自ら戻ってくることはできません。
祈ってあげなければなりません。
自分が失くしたものを探さなければなりません。
祈り、御言葉、感謝、賛美を忘れてはいけません。
これを忘れなければ、失われた羊にはなりません。
牧者と親しくなければなりません。
そして聖三位と親しくなければなりません。