ヨハネによる福音書14章6-14節
<イエスは言われた。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。あなたがたが私を知っているなら、私の父をも知るであろう。いや、今、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのだ。」フィリポが、「主よ、私たちに御父をお示しください。そうすれば満足します」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、私が分かっていないのか。私を見た者は、父を見たのだ。なぜ、『私たちに御父をお示しください』と言うのか。私が父の内におり、父が私の内におられることを、信じないのか。私があなたがたに言う言葉は、勝手に話しているのではない。父が私の内におり、その業を行っておられるのである。私が父の内におり、父が私の内におられると、私が言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。よくよく言っておく。私を信じる者は、私が行う業を行うだろう。そればかりか、もっと大きなことを行うであろう。私が父のもとへ行くからである。私の名によって願うことを何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。私の名によって願うことは何事でも、私がかなえてあげよう。」>
使徒言行録16章16-8節
<私たちは、祈りの場に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。彼女は、パウロや私たちの後ろに付いて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると、霊は即座に彼女から出て行った。>
イエス様の体を使って全能者神様が現れました。
神様がいらっしゃったのではなく、その霊が降臨しました。
地上では神様のような役割をしますが、地上で生まれた人間です。
どの時代でも、神様が遣わした人が真理であり道です。
人を通して救いの歴史を広げていかれます。
主の名前で祈るということは、主を信じるからです。
主の御名で祈れば、必ず成されます。
主を認めて願い求めるのか、主を認めずに願い求めるか、そこには大きな差があります。
ふさわしければ、すぐに成してくださいます。
主を正しく知って、主の御名によって求めることがすべて成されることを祝福します。