ヨシュア記10章10-4節
<主はイスラエルの前で彼らを混乱に陥れられたので、イスラエルはギブオンで彼らに大打撃を与え、さらにベト・ホロンの坂道を追い上げて、アゼカとマケダまで彼らを追撃した。彼らがイスラエルの前から逃れ、ベト・ホロンの下り坂にさしかかったとき、主は天から大きな石を降らせた。それはアゼカに至るまで降り続いたので、多くの者が死んだ。石のような雹に打たれて死んだ者は、イスラエルの人々が剣で殺した者よりも多かった。こうして、主がアモリ人をイスラエルの人々の前に渡された日、ヨシュアはイスラエルの見ている前で主に語った。/「『太陽よ、ギブオンの上にとどまれ/月よ、アヤロンの谷にとどまれ。』すると、太陽はとどまり/月は動きをやめた/民がその敵に報復するまで。」これは『ヤシャルの書』に記されているとおりである。太陽は丸一日、中天にとどまり、急いで沈もうとはしなかった。この日のように、主が人の声を聞き入れられたことは、後にも先にもなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。>
神様を信じて行なっていたことが祈りです。
祈りとは神様、聖霊様に願い求め、話すことです。
神様の使命者たちは祈りの生を生きます。
行なってくださるように話さなければなりません。
祈りは対話です。
対話がなくなったら誤解が生じます。
祈ることによって理想的に解決されます。
祈って解決できるように思えない時でも、何事も切実に願い求めれば解決します。
心配しないで祈らなければなりません。
ヨシュアのように祈って行なうべき時です。
最善を尽くしてもできなかったことを、祈って解決してきました。
祈ってこそ、聖三位が行なってくださいます。
心配せずに祈ってください。