マタイによる福音書25章1-10節
そこで、天の国は、十人のおとめがそれぞれ灯を持って、花婿を迎えに出て行くのに似ている。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、灯は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれの灯と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆うとうとして眠ってしまった。真夜中に『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれの灯を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。私たちの灯は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が着いた。用意のできている五人は、花婿と一緒に祝宴の間に入り、戸が閉められた。(聖書協会共同訳)
天国は灯を手にして新郎を迎えに出ていった十人のおとめと同じです。新郎が来た時、五人は知恵深く油を用意していたので新郎を迎え、五人は愚かで油を用意していなかったので迎えられませんでした。油を用意していなかった愚かな人に対しては、神様も、イエス様も「私はあなたを知らない」とおっしゃいます。
新郎が来る時は、神様と聖霊様と自分の太陽のような熱い愛をもって新婦を迎えに来ます。新婦もその対象として、月のように美しく、新郎を見上げる愛と、きれいで清い愛の体と心をもって迎えなければなりません。油は愛を譬えました。知恵深い人は新郎を迎えて、肉体は一生、霊は永遠に愛して生きるようになります。
この時代に再び来られたイエス様を迎えた私たちは、100%の愛で喜んで心情に合うように迎えてこそ、期待をして来られたイエス様と共に喜んで一生、そして千年間婚宴をして生きるようになります。迎えた人たちが神様、聖霊様、イエス様が満足なさるように、忠誠を尽くして行なってさしあげなければなりません。
私たちはこの世で誰よりも喜んで価値ある生き方をすべきです。全知全能なる神様、聖霊様、御子、イエス様に感謝し、畏れおののいて仕え、敬い、愛することを楽しみとして、毎日神様の仕事をして生きなければなりません。これが知恵深い新婦の生です。