ルカによる福音書18章15-7節
<イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。よく言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」>
ルカによる福音書15章11-24節
<また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟のほうが父親に、『お父さん、私に財産の分け前をください』と言った。それで、父親は二人に身代を分けてやった。何日もたたないうちに、弟は何もかもまとめて遠い国に旅立ち、そこで身を持ち崩して財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住む裕福な人のところへ身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、食べ物をくれる人は誰もいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところには、あんなに大勢の雇い人がいて、有り余るほどのパンがあるのに、私はここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』そこで、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いで、いちばん良い衣を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足には履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。>
幼子たちが大人たちを避ける理由は、
共感できないから、怒られるかと思うから、心が傷ついているからなどがあります。
だから良い指導者が必要です。
信仰の幼子たちも同じです。
真実なものを好みます。
順理的に導くことが時間を無駄にしないことです。
武力的にすることは神様の方法ではありません。
幼子のような純粋な心は守らなければなりません。
聖三位は命の道に導いて下さるから、信じて従ってもいいです。
大人たちも、純粋な心を持ってこそ、黄金天国を奪われません。
自分の人格が自分の未来を左右します。
うまくできる人を通しても、うまくできない人を通しても学ぶことができます。
幼子のような心を持たなければなりません。
花を折ったら死んでしまうように、幼子たちの心を折ったら信仰が死んでしまいます。
自尊心に対して自尊心で接してはいけません。
命を扱うことに関して、霊肉新しくしなければなりません。