マタイによる福音書10章40節
「あなたがたを受け入れる者は、私を受け入れ、私を受け入れる者は、私をお遣わしになった方を受け入れるのである。」(聖書協会共同訳)
神様は霊なので霊だけでは肉体と通じず、その意向と目的を成すことができないので、いつも遣わした人の肉を着て御言葉を伝え、救いの歴史を広げてこられました。イエス様の時も神様はイエス様を通して救いの歴史をお広げになりましたが、イスラエルの民が神様だけを信じ愛して、神様が遣わしたイエス様を排斥し、あらゆる苦難と苦痛を与え、無念な思いをさせました。
だから神様に接することを裁きの標準にしたら絶対に公義に裁くことができないので、イエス様に接することを表象的な基準にして裁かれました。そのように、神様はいつの時代でも、神様に接することではなく、神様が御心を成そうとして地上に遣わした人に接することを見て祝福と裁きをなさいます。
この時代も同じです。神様と聖霊様とイエス様が遣わした人に対して、善あるいは悪をもって接することを神様と聖霊様とイエス様に接することだとみなし、個人も、民族も、世界もその行ないどおりに接してくださいます。神様が遣わした人に、罪びとに接するように、悪をもって無念な思いをさせて接した罪が一番大きいです。これはその人を遣わした神様にそのように接したことになるからです。
私たちはこの絶対的な真理を分かって行ない、自分が信じて従う人を誰が遣わしたのか、絶対に知らなければなりません。また、今の時代、神様の御心を正しく悟って生きることがどれほど最高に価値ある生き方なのかを悟って信仰を堅固にして生きなければなりません。