<マタイによる福音書10章28-33節>
「体は殺しても、命は殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、命も体もゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀は一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れることはない。あなたがたは、たくさんの雀よりも優れた者である。」「だから、誰でも人々の前で私を認める者は、私も天の父の前で、その人を認める。しかし、人々の前で私を拒む者は、私も天の父の前でその人を拒む。」(聖書協会共同訳)
イエス様と12弟子は村々を回って病人を癒し、福音を伝えていましたが、パリサイ人はイエス様が悪霊のかしらの力で病気を癒しているのだと言い、弟子たちのことも同じように悪く言いました。それに対しイエス様は「神様は時になればすべてをあらわになさり、善と悪をお裁きになるから、偽りを言う者たちを恐れるな。」とおっしゃいました。
また、バプテスマのヨハネはイエス様を悟り、証した人でしたが、途中でイエス様と別の道を歩むようになり獄に入れられました。イエス様はヨハネのことを風にゆれる葦だと言い、「私につまずかない人は幸いである。」<マタイ11章6節>とおっしゃいました。
バプテスマのヨハネは苦痛を受けてつまずき、落胆してイエス様から離れるようになりました。人は一つつまずくと、連鎖的に失望・落胆して、次々とつまずくようになります。その時は自分の考えに閉じ込められているので、正しく判断できるように続けて御言葉を聞いて自分の心をしっかり守らないといけません。途中でやめてしまったらそこまで頑張ったことが全部無駄になるので、落胆せず最後まで行なわなければなりません。
シメオンはイエス様の母マリヤに「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。」と言いました。(ルカ2章 34節)
神様はいつの時代でも、時代ごとに遣わした使命者を時代の表象にして、彼らに接するとおりに、すべて善か悪かで報いてくださいました。
今の時代もそうです。イエス様を迎え信じるからイエス様の時代と同じようなことが起こりますが、神様はどこに行っても助け共にしてくださるから、みんな祈って慰め合い、支え合い、つまずくことなく、三位とイエス様と離れずに最後まで行なうことを願います。