マタイによる福音書22章36-40節
<「先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の戒めである。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているのだ。」>
使徒言行録13章22節
<それから、サウルを退けてダビデを王の位に就け、彼について次のように宣言なさいました。『私はエッサイの子ダビデを見いだした。彼は私の心に適う者で、私の思うところをすべて行う。』>
民数記12章7-8節
<私の僕モーセとはそうではない。/彼は私の家全体の中で忠実である。口から口へ、私は彼と語る。/あらわに、謎によらずに。/彼は主の姿を仰ぎ見る。/あなたがたはなぜ/私の僕モーセを恐れもせず非難するのか。」>
私たちは全知全能なる神様の心にかなう生を生きなければなりません。
そうすれば神様も私たちが心にかなうから、共にしてくださいます。
各自神様の心にかなうところがあってこそ、神様の心が向きます。
この時代も神様の心にかなってこそ、その心で義と見なし、一緒に行なわれます。
聖書には神様の心にかなった中心人物たちがたくさん出てきます。
ノアは完全さが神様の心にかないました。
アブラハムは信仰が神様の心にかないました。
ヨセフは最後まで耐え忍んで忠誠を尽くしたことが神様の心にかないました。
エリヤ、エステル、ダニエルは祈ることが神様の心にかないました。
ダビデは神様に絶対的に頼り、いつも共になさることを信じ、敵に愛で接し、賛美し栄光を帰し、国をよく守り、謙遜で神様を愛したことが神様の心にかないました。
だから神様がいつも共にしてくださいました。
ダビデの心が神様の心にかないました。
イエス様は死ぬまで心と思いと命を尽くして愛したことが、神様の心にかないました。
私たちの心が神様の心にかなう生を生きるようにと、御言葉を伝え行なうようにさせました。
根本の問題を解決して生きる人が、神様の心にかないます。
この時代の根本の問題は、聖書の根本を正しく知らないことです。
解決していない根本の問題を霊肉共にきれいにしなければなりません。
根本の問題を解決してこそ神様が共に行なってくださり、天国になります。
根性、性根の問題を解決しなければなりません。
根本の問題をよく把握しなければなりません。
自分に該当する根本の問題を解決しなければなりません。
神様の心にかなう生が、三位と共に生きる生です。
神様が時代ごとに遣わした使命者を絶対に信じ、神様の御言葉を行ない、神様の心情を分かって解いてさし上げ、神様だけに頼り変わらずに生き、言葉のミスを犯さず、神様を絶対に信じて変わらないことが神様の心にかなうことです。