<マタイによる福音書19章23節>
イエスは弟子たちに言われた。「よく言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
<ヨハネによる福音書14章8~10節>
フィリポが、「主よ、私たちに御父をお示しください。そうすれば満足します」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、私が分かっていないのか。私を見た者は、父を見たのだ。なぜ、『私たちに御父をお示しください』と言うのか。私が父の内におり、父が私の内におられることを、信じないのか。私があなたがたに言う言葉は、勝手に話しているのではない。父が私の内におり、その業を行っておられるのである。(聖書協会共同訳)
人は楽であればあるほど、神様と救い人を呼び求めず、祈らず、信じなくなって、信仰生活をすることが難しくなります。楽なら、それを自分の栄光、喜び、天国だと思って生きるので、何をもっと望むでしょうか。
人は問題が生じてはじめて祈ります。困難と苦痛を受けるようになると、夜を明かして祈り、神様も救い人も捜し求めます。だから神様は人々の生活を苦しくさせてでも祈り、悟るようにさせ、神様を信じるようにさせて、永遠にお救いになります。
だから困難を受ける時、困難だけを見ないで、神様の御心を見なければなりません。苦労しても絶対に御心どおりにしてこそ、想像もできないしるしが起こります。御心のあるところに道があります。困難を受ける時、神様を一層呼び求め、祈って自分の体と心をつくってこそ成功します。
また、人々は神様を見たがります。見せてあげたら、見ることを中心にするので、神様は創世以来見せずにただ御言葉を下さり、その御言葉を行なうようにさせて、救いと御心を成す歴史を広げて来られました。
神様の御言葉を聞くことが神様を見ることです。だから御言葉に集中し、命のように思って聞かなければなりません。そうしてこそ、問題が解け、患難から助かって神様の御心を成し、私たちが祈ったとおりになるのです。