マタイによる福音書5章9~12節
今日の本文は、イエス様が山に登って、弟子たちと従う人たちに説教なさった祝福の御言葉で、八福章、山上の垂訓と言われる箇所です。
文字通りの意味ではなく、霊的な意味があるから解釈できません。
しかし、その時代を見れば解くことができます。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」
心霊が貧しい人たちを見て、あなたたちの方が幸いだとおっしゃったのです。
貧しい人たちが食べ物を探し求めるように、探し求めて主を見つけ、天国を見つけました。
「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。」
落胆するのではなく、主に切実に願い求め、話すことです。
そうすれば、主が神様に話して解いてあげることができます。
困難なことがある時、落胆しないで話して行いなさいということです。
疎外感を感じてはいけません。
「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。」
柔和とは善良で、柔らかく、優しく、高慢でなく、強くない性格のことです。
綺麗に磨かれた石が高価であるように、心が磨かれたら高価な人になります。
性格は生まれ付きのものもありますが、御言葉で磨き、作らなければなりません。
「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」
平和を壊した人たちは、残念な運命になって歴史を迎えることができませんでした。
いつも仲良くし、必ず平和にしなければなりません。
害を与えたら、相手も害をもって接します。
平和にする人だけが天の新婦です。
「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」
主のために迫害されても、寂しく思わないでください。
主にしがみついて打ち勝って、歴史を広げるようになったのです。
多くの患難、迫害に打ち勝ったので、神様が多くのものをくださいました。