<ヤコブ1:22~25>
そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。
<マタイ7:24~27>
それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
<ヨハネⅠ:3:18>
子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。
悟ったことはただちに実践すべきです。いつも悟ったことを告白し、証しし、神様、聖霊、御子、主を呼んで生きてこそ、悟ったことが続けて実感できます。御言葉を聞いても行なわなければ実感できず、得ることもできません。だから生命力がなくなります。
誰でも御言葉を行なうことが、神様と聖霊と主と共に行なうことです。みなさん自身が御言葉を行なうことが、御言葉が肉体になって行なうことです。
自分の意志、考え、行ないを分かって完全にすべきです。神様が全世界を治めて善なり悪なり行なったとおりに報いようとして、今もみんなをご覧になっています。
約束したことを守って必ず行ない、すべきことをすべてにおいて行なうべきです。神様も行なわれるから、私たちも心を守って行なうべきです。私たちは神様に行ないで応えなければなりません。そうしてこそ、やっておいたことを見て、また行なってくださいます。
どこに行っているとしても変わることなく行なわなければなりません。問題はいつも神様を愛し、喜び、愛の対象の生を生きるかどうかです。これによって環境も運命も左右されます。
霊は次元と段位が高いです。だから肉がたくさん労苦し、たくさん行なってはじめて、霊が変化します。これ以上できないほどやり、そこで研究して、もっとやり、もっと研究して、もっとやるのです。
信仰生活において自分の行ないで不義と必要のないものは切らなければなりません。全部切って絶対的なものだけ、大きいものだけを残してこそ、信仰の傑作になってよく成長します。不義と必要のないものをすべて切ってはじめて大きい人になります。
神様と聖霊に愛の栄光を帰し、みんな永遠な愛の永遠な対象になることを祝福し、平安を祈ります。アーメン。












